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わたしのなりたかったもの [チラ裏]


2018/02/17

平清盛(たいらのきよもり)はご存知ですよね?

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SADSの清春

何年か前、
大河でサンバじゃないほうのマツケンが
演じていました。 大河の清盛

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卓抜した人望と政治力。

平治の乱で勝利し、
平氏栄華の礎を築き上げたことで有名です。

その一方で
大輪田泊(おおわだのとまり)の逸話では、
経ヶ島築造のための人柱として多くの旅人を
捕えるものの、
世人の反発にあって煮え切らない態度を取ります。

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おおわだのばく

結局、松王丸の献身で事態は収拾しますが、
優柔不断な一面を露呈してしまう格好に。

とはいえ、この人間らしさも清盛の魅力なのかも
知れません。

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最期は打倒平氏の兵(源氏)が蜂起するなか
熱病で没するというのが歴史的定見ですが、
これには異説もあるようです。

源頼朝に追討の兵を差し向けられた義経が、
大陸に渡ってジンギスカンになったという珍説を
ご存知の方も多いかと思います。

[義経-ジンギスカン説]

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義経(右から2番目)

実は清盛も源氏の手から逃れ、宋に渡っていたのです。







  チャイナの清盛 (平清盛)  なんてな ( ゚∀゚)






もうしません。



そんな清盛が売出し中の3~40代の頃、
比叡山の僧による強訴(ごうそ)が
宮廷を脅かしていました。

日吉山王大権現の神輿を担ぎ、
神威をかざして洛中内裏に押し掛けて
無理筋の要求をするってやつです。

神輿が来ると、帝さえも庭に出て拝礼するのが
当時のしきたりだったとか。

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比叡山僧兵による強訴(再現)

神輿に弓矢を向けると直ちに死んでしまう、
そもそも矢が当たらないと畏れられ、
永らく僧兵側の無双状態だったのですが、
検非違使別当(警察長官)に任命された清盛は、
あっさりと神輿を弓で射抜いてしまいます。

ま、詳しいことは平家物語を読んでください。

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勝野洋

さて、寄り道が過ぎました。 ここから本題です。
むかし、誰かのエッセイで読んだのですが、
強訴に用いた神輿を展示した場所があるのだとか。

がらんとした中に神輿が7基。

その日は訪れる人も殆どなく、
受付のおっさんは傍目にも気の毒なほど暇そう。

筆者は『こういう暇な仕事がしたい』と羨むのですが、




  わたしもやりたいわ、そんなん。



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ひとりぼっちのサイン会

ということで、
わたしのなりたかったもの、の話はおわりです。

  インフル明けで調子わるいねん。


お詫びに先週伊香保に行ってきた写真を載せときます。
ツーレポを書けよ

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矢内(前橋市)
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伊香保おもちゃと人形・自動車博物館






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