2. 柳津で赤べこと出会うはなし [ツーリング(超100km)]
秋雨前線の影響でしょうか、
いまひとつすっきりとは晴れませんね。
ま、合羽を着ないで済む分もうけもの。
入広瀬からR252へ、
六十里越を去年とは反対方向に辿ります。
集落の踏切、
只見駅に向かう列車と出会います。
この列車とはこのあと、
山影を見えつ隠れつしながら、
しばらく一緒に走ることになります。
途中、昨年と同じ構図で写真を撮りました。
道の形や路傍の風景は
意外と覚えているものですね。
福島への県境をトンネルで越えると
六十里越も終盤。
田子倉湖の展望台に到着しました。
田子倉レイクビューで小休止。
下の写真、右手に写っている帽子の方は
地元只見のSさん。
只見で長らくキャンプ場を
運営されていたそうで、
小川テントの社長とも知己だって。
話題はアウトドアから
只見と会津の暮らしむきの差まで。
理路整然とした話しぶりに
迂闊な返答は恥ずかしく、
一夜漬けした只見の知識を総動員します。
その土地で生きてきた人ゆえの
リアルな言葉が嬉しくて、
20分ほど話し込んでしまいました。
こちらが一方的に伺うばかりでしたけど。
Sさんとお別れし、バイクを走らせます。
山を下り只見の町へ。
まず向かった先は河井継之助記念館。
去年伺うことができなかった場所です。
会津塩沢は北越戦争で敗走し、
会津へ落ち延びる継之助の終焉の地だとか。
館内には継之助が息を引き取った
村医者・矢沢宗益の部屋が移築されています。
元の場所はダムに沈んだそうです。
中庭に出ると只見川が見下ろせました。
目を惹く景色ではありませんが、
川筋を渡る風が心地よい穏やかな場所。
小説『峠』の執筆を終えた
司馬遼太郎さんが眺めた景色だって。
館内には司馬さんの揮毫も。
充実した展示ですが、
全てをご紹介するのもアレですので
先を急ぐことにします。
河井継之助記念館
磨崖仏。
R252を東へ進み、会津横田あたり。
ちょっと気になる案内板を見つけました。
K352に入ります。
5kmほど走って到着しました。
鮭立集落です。
草に埋もれたけものみち。
轍の跡を追ってバイクを入れたら
えらいことになりました。
バイクは下の道に停めるべきでしたね。
もし住民に咎められたら、
昨夜の夢枕、
仏様に呼ばれたことにします。
山の斜面、薄越しに仏様が見えました。
岩に仏を刻んだ人、
代々それを守ってきた人の心情に
思いを馳せます。
こうしてお会いしたのも何かのご縁、
僅かばかりの喜捨をし、
手を合わせてきました。
鮭立の磨崖仏群
磨崖仏パワー全開で向かった先は会津柳津。
今まで知らなかったのですが、
柳津温泉として結構な賑わいです。
人混みを避けた街道沿い、
大清水の看板を見つけました。
人目のないのをいいことに、
路地をバイクで進みます。
もし住民に咎められたら、
昨夜の夢枕(略)
滾々と湧き出す水は
意外と柔らかな口当たりでした。
清水で洗髪ののち先に進むうち うそです
とうとう彼に出会いました。
赤べこの福太郎(父)さんです。
ちゃんと頭が動くのが素晴らしい。
ふと思ったのですが、
父子(母子)という言葉は
誰の目線なのでしょうかね。
自分の存在を宙に置く
日本語のこういった表現は
なんかいいですね。
それはそうとして、
とりあえず横に並んでみました。
写真判定はハナ差で福太郎ですね。
今回の旅は、
この1枚を撮るのが目的だったことにします。
柳津には円蔵寺という古刹もあるのですが、
結構気難しいお寺のようですので
今回は遠慮しました。
ま、上り坂が嫌だった訳ですけど。
暫くは磨崖仏パワーを纏っていますので、
平気平気。
会津坂下町の立木観音に着いたところで
タイムアップ。
若松に出て宿に向かうつもりでしたが、
距離的に分が悪いとナビが主張します。
来た道を戻るのも業腹ですが、
ここは市街地の煩わしさを忌避します。
ツーリングでは予め
おおよそのタイムテーブルを作るのですが、
今日はSさんや磨崖仏など、
嬉しい番狂わせがありました。
でも不思議と
予定していた時間にチェックイン。
昨日もそうでした。
いまひとつすっきりとは晴れませんね。
ま、合羽を着ないで済む分もうけもの。
入広瀬からR252へ、
六十里越を去年とは反対方向に辿ります。
集落の踏切、
只見駅に向かう列車と出会います。
この列車とはこのあと、
山影を見えつ隠れつしながら、
しばらく一緒に走ることになります。
途中、昨年と同じ構図で写真を撮りました。
道の形や路傍の風景は
意外と覚えているものですね。
福島への県境をトンネルで越えると
六十里越も終盤。
田子倉湖の展望台に到着しました。
田子倉レイクビューで小休止。
下の写真、右手に写っている帽子の方は
地元只見のSさん。
只見で長らくキャンプ場を
運営されていたそうで、
小川テントの社長とも知己だって。
話題はアウトドアから
只見と会津の暮らしむきの差まで。
理路整然とした話しぶりに
迂闊な返答は恥ずかしく、
一夜漬けした只見の知識を総動員します。
その土地で生きてきた人ゆえの
リアルな言葉が嬉しくて、
20分ほど話し込んでしまいました。
こちらが一方的に伺うばかりでしたけど。
Sさんとお別れし、バイクを走らせます。
山を下り只見の町へ。
まず向かった先は河井継之助記念館。
去年伺うことができなかった場所です。
会津塩沢は北越戦争で敗走し、
会津へ落ち延びる継之助の終焉の地だとか。
館内には継之助が息を引き取った
村医者・矢沢宗益の部屋が移築されています。
元の場所はダムに沈んだそうです。
中庭に出ると只見川が見下ろせました。
目を惹く景色ではありませんが、
川筋を渡る風が心地よい穏やかな場所。
小説『峠』の執筆を終えた
司馬遼太郎さんが眺めた景色だって。
館内には司馬さんの揮毫も。
充実した展示ですが、
全てをご紹介するのもアレですので
先を急ぐことにします。
河井継之助記念館
磨崖仏。
R252を東へ進み、会津横田あたり。
ちょっと気になる案内板を見つけました。
K352に入ります。
5kmほど走って到着しました。
鮭立集落です。
草に埋もれたけものみち。
轍の跡を追ってバイクを入れたら
えらいことになりました。
バイクは下の道に停めるべきでしたね。
もし住民に咎められたら、
昨夜の夢枕、
仏様に呼ばれたことにします。
山の斜面、薄越しに仏様が見えました。
岩に仏を刻んだ人、
代々それを守ってきた人の心情に
思いを馳せます。
こうしてお会いしたのも何かのご縁、
僅かばかりの喜捨をし、
手を合わせてきました。
鮭立の磨崖仏群
磨崖仏パワー全開で向かった先は会津柳津。
今まで知らなかったのですが、
柳津温泉として結構な賑わいです。
人混みを避けた街道沿い、
大清水の看板を見つけました。
人目のないのをいいことに、
路地をバイクで進みます。
もし住民に咎められたら、
昨夜の夢枕(略)
滾々と湧き出す水は
意外と柔らかな口当たりでした。
清水で洗髪ののち先に進むうち うそです
とうとう彼に出会いました。
赤べこの福太郎(父)さんです。
ちゃんと頭が動くのが素晴らしい。
ふと思ったのですが、
父子(母子)という言葉は
誰の目線なのでしょうかね。
自分の存在を宙に置く
日本語のこういった表現は
なんかいいですね。
それはそうとして、
とりあえず横に並んでみました。
写真判定はハナ差で福太郎ですね。
今回の旅は、
この1枚を撮るのが目的だったことにします。
柳津には円蔵寺という古刹もあるのですが、
結構気難しいお寺のようですので
今回は遠慮しました。
ま、上り坂が嫌だった訳ですけど。
暫くは磨崖仏パワーを纏っていますので、
平気平気。
会津坂下町の立木観音に着いたところで
タイムアップ。
若松に出て宿に向かうつもりでしたが、
距離的に分が悪いとナビが主張します。
来た道を戻るのも業腹ですが、
ここは市街地の煩わしさを忌避します。
ツーリングでは予め
おおよそのタイムテーブルを作るのですが、
今日はSさんや磨崖仏など、
嬉しい番狂わせがありました。
でも不思議と
予定していた時間にチェックイン。
昨日もそうでした。
タイムテーブルがガバガバなだけ
なんですけどね。
部屋は奥まった先のツインルーム。
卓上には踊るウェルカム煎餅が
置かれています。
去年と同じですね。
隣の本は売店で見つけました。
町が編纂した冊子、1,500円。
帰ってから今回の旅を復習します。
今日も文句を言わず走ってくれた流星号。
お礼に軽く掃除をしておきました。
このあとは山の幸と温泉です。
会津の地酒も付けてもらいましょう。
季の郷 湯ら里
今日もいい一日でした。
いい土地にはいい人がたくさんいますね。
どうやら明日は雨模様。
しっかりと準備をし、
のんびり帰ることにします。